蓮井内科医院
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2008年09月28日

「鳶が鷹をうむ」ことはあるか

鳶が鷹を「産む」ことは、ない。
しかし、鳶が鷹のような「鳶」を「生む」ことはあるでしょう。
そして、鷹のような鳶でも産むのはやはり、鳶でしょう。
へんなことを考えてしまうのは、公職に就いた二代目、三代目の不細工をこうまで立て続けに見せられる所為でしょうか。
公職に就くために、地盤を引き継いでなどというのは、マイナス要因でしかないでしょう。
独り立ちできないことの証明のようなものです。
二代目、三代目の意味があるのは、私的な「家業」でのみでしょうか。
それでも、基本的には難しいと思います。唐様で売り家と張り出すのが昔からの相場のようです。
新聞などで、公職に就く人が、誰それの子だ、孫だと囃されるのを、当人はどう思っているのでしょうか
尋ねてみたいものです。
もっとも、対面することもないでしょうが。

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2008年09月08日

夏終

 7月、8月は相当な暑さだったように思います。蝉は元気に朝早くから鳴いていましたが、こちらは、暑さも加わって睡眠不足の毎日でした。蝉も無く時間帯によって棲み分けているそうですが、朝鳴きの蝉の名前は、覚えたつもりでしたが忘れました。これは、暑さではなく歳のせいかもしれませんが。普通にいる蝉だったと思います。
 その蝉の音も下旬にはあっという間に聞こえなくなりました。猛暑から普通の夏になったのでしょうか。一時は、もう開きかと思わせられましたが。同時に「夏バテ」でしょうか。疲れを感じるようになりました。暑い間は、何もしなくても体は緊張していたのでしょうか。
 「ダラーとしていても緊張するとはこれ如何に」。

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2008年06月29日

雨あられ

今朝、新聞のスポーツ欄にあった見出しです。
「雨あられ 虎15安打」とありました。
しばらくの間、虎が勝ったのか負けたのか解りませんでした。
特に阪神フアンというわけでもないので、昨日の結果を知っているわけでもなかったのです。
それで、「雨あられのごとく、虎が15安打を浴びた。」ととっさに思ってしまったのです。
本当は、15安打を打って、勝ったのだそうです。
ゆっくり考えれば、見出しは勝ったほうを肯定的に扱うでしょうから、早合点には違いありません。
それでも、日本語としては、「雨あられ」は受身の用語ではないかと思います。

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2008年05月18日

逐次投入 各個撃破

 この春は、いろいろな制度が変更されて、対応にきりきり舞いをさせられている。早くから分かっていることことも、詳細の周知はない。全体像を示したつもりでも、単純な疑問も、個別の定義が明らかでないため、一々確認が要る。ストレスばかりが溜まってしまう。こんな指揮官や参謀のもとで戦争などしようものなら、前線は壊滅まちがいなしで負け戦は目に見えている。それでも、法律を作った者も、運用するものもきっと口をぬぐってしらばっくれるのが歴史の教訓かもしれない。
 「逐次投入、各個撃破」は軍事用語と思います。まずい用兵の典型で、逐次に兵を投入すれば、個別に撃破されるのでやってはいけない運用の初歩のようです。
 40年近く前、医者になりたてのころ、結核の化学療法の要諦を当時の京大結核研究所の名誉教授に病棟回診の後の雑談で教えてもらいました。

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2008年04月01日

エイプリルフール

4月1日がいつのころからエイプリルフールになったのでしょうか。
いろいろなところで、新人が、訓示を聞いたことでしょう。
お役所でも同じことでしょう。
大臣といわれる人が、新人相手に教訓を話すのでしょうか。
365日、世の中のことなど眼中にないような振る舞いの右代表のような人がしゃべるのです。
明日の新聞などで、一部は報道されるでしょうから、どんなすばらしいことを言ったかも少しは分かるでしょう。
新人は、素直に聞くでしょうが、しばらくしたらキット気がつくことでしょう。

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2008年03月30日

春の月

久しぶりの寒い冬も、彼岸前には急に終わってしまいました。
彼岸のころには、いつもどうりの気候でした。
彼岸に寒いのはいつものことだという、有名な俳句がありましたが、思い出せません。
寒かったので、しばらくの間、閉じこもっていましたが、ボツボツ外出するようになりました。
いつものことですが、電車で出かけますと、東の空がみえます。
6時過ぎにはちょうど視線の先に、月が見えます。
先日も満月の朧月が出ていました。
久しぶりに10分くらいの間、オレンジ色の月をぼんやりと見ることができました。
車などでは、危ないし低いしそうのんびりとは見られないでしょう。

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2008年01月23日

大寒の雪

瀬戸内でも、今年は大寒と共に積雪となりました。
暖冬続きでしたので久しぶりの寒の寒さです。
寒いときは寒いほうがいいように思います。
西のほうでは、夜からの雪が、屋根から落ちる音が続いたそうです。
我が家の周辺では、山に雪が張り付いていますが、ミゾレで終わりました。
なんとなく取り残されたような感じがします。
積もらないほうがいいのですが、野次馬なのでしょうか。
1日で雪は終わりましたが、寒さは続くようです。
冬が寒いのはいいのですが、そこはかとない薄ら寒さを感じるのは、いやなものです。

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2008年01月08日

タイムマシン

SFによく出てきます。
時間と空間を超えて移動できる機械のことでしょうか。
あったら面白いでしょう。
ドラえもんの「どこでもドア」もタイムマシンの一種でしょうか。
ありえないように思えますが、考え方次第かもしれません。
自分に関することは、記憶という形で時間は超えられます。
空間は超えられないようですので、マシンとしては高性能とはいえないかもしれません。
情報が蓄積される脳は、一種のタイムマシンです。
ただ、自分に関してだけになりますが。

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2007年12月16日

言葉がひっくり返る

最近、自分の言葉の発音が逆になることが多くなったように思う。
頭では、ただしく理解しているのだが、発声すると逆になっていることがある。
例えば、「道の駅」。
発音すると、「エキノミチ」。
最初のインプットがまちがってしまったのかもしれないが、ほかにもあるのです。
名前なども逆に出てしまいそうになることがある。
「田中」さん。
「タナカ」さんというつもりで「ナカタ」さんといいそうになる。
「中山」さんも「山中」さんもあぶない。

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2007年11月08日

「まがる」「めげる」

まがると云う字を見て、突然「まがる」という讃岐弁を思い出しました。
昔は結構よく聞いていたように思います。
自分もつかったかどうかはよく思い出せません。
気にしていないので、きっと使っていたと思います。
「邪魔になる」というほどの意味でしょうが、しゃべり言葉では思い出しても字はわかりません。
「曲がる」でいいのでしょうか。
自分の行動、意思などがまっすぐ行えなくて曲がってしまうことなのでしょうか。
ふるい言い回しのようには思います。

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2007年10月16日

情報の誤り

先日、首都圏で電車の自動改札システムに故障があったと報道されました。
そのときにメディアが使ったタイトルに、原因は「情報の誤り」によるというのが在りました。
情報の誤りとはどういうことか、すぐには理解できませんでしたが、どうも「情報処理の不具合」ということのようでした。
情報の誤りをコンピューターが反応して故障したのなら、偽情報(偽切符)が大量に使用されたのかとも思ってしまいました。
コンピューターは、決まった情報を処理するのでしょうから、その他の情報は、無視するしか無いでしょう。
それでも情報は情報ですから、「情報の誤り」という日本語は成り立たないのではないでしょうか。

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2007年09月25日

言葉の力

言葉は伝わりにくいと思いませんか。
話したことが、少しずれて伝わっているのに気がつくことはよくあります。
訂正しようと思っても、話題はもう変わっています。
かなり後になって逆に伝わっていることが分かることもあります。
人の話を聞くことでも同じことが起こっているかもしれません。
相手がしゃべったことと、こちらが理解したこととが同じである保障はありません。
あまり問題も起こらずにやり過ごせているのは幸運なだけでしょうか。
大まかなことだけで進んでいるのでしょう。

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2007年09月06日

クールビズ

今年の夏は異常に暑かったですね。
温暖化の影響かもしれませんが、コンクリートで固めてしまったヒートアイランド現象もあるのでしょう。
外出もままならず、テレビの前で座り込むことが多くなってしまいました。
運動不足で体重も増え、腰痛もでて、余計にうっとうしくなりました。
それに輪をかけたのが、クールビズと称してだらしない格好の人達がテレビ画面に映ることでした。
クールに仕事をしようとするのは大賛成ですが、胸元を緩めて、何故上着を着るのでしょうか。
ルーズビズの間違いではないかと思ってしまいます。
涼しく仕事をするためには、上着をとることからはじめたほうがいいのではないでしょうか。
個人的な経験では、上着をとって仕事をしていても冷房が効きすぎて上着を着ることがほとんどです。

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2007年09月04日

古代の単身赴任

近所に「出作」という地名があります。
高松市郊外の田園地帯で、今も農地が広がっています。
最も、現代では、香川は、日本一面積の狭いところですから、広大というわけには行きません。
しかし千年以上前では、讃岐の国は起伏の少ない、開墾しやすい地形だったのでしょう。
近くに、三条、六条などの条里制の後の地名もあります。
このあたりを、南海道も通っていたようです。
最近の道路新設前の発掘調査で水路なども見つかっているようです。
文化財保護法で、調査が優先されるようです。
何もしないで上からかぶせてしまうよりはいいのかもしれません。

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2007年09月02日

身体検査

最近、新聞などで身体検査という言葉をよく見かけます。
小学校時代にはよく聞いた言葉ですが、最近はあまり聞きなじみがありませんでした。
いつの頃からか、健康診断というようになっているのかと思います。
最も、学校から離れたせいで聞かなくなったのかもしれません。
今でも、身体検査という言葉は一般的なのでしょうか。
よく知りません。
新聞等で使っているのは、身上調査、身持ちがよいかどうかの判断を上手に言い換えているようです。
上品な言葉とも思えませんが。

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2007年08月26日

猛暑の隙間

8月も終わろうとしていますが、まだまだ酷暑は和らぎそうにありません。
外出もしたくなく閉じこもってばかりの日々です。
それでも、やはり出かけなければいけないこともあるものです。
先日、そんなことのひとつで夕方から電車を利用して外出しました。
昼間に、一時通り雨がありましたが、その頃には何の痕跡もありませんでした。
駅のプラットホームで、日陰を探し、風の通るところで数分間電車の到着を待っていました。
歩いてきた汗も少し引いてきて、何も考えずにぼんやりとしていると草むらで虫が鳴いているのに気が付きました。

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2007年08月16日

誤作動

猛暑が続いています。
今年は、水不足から大雨。
猛暑予測から、一時は、雨による冷夏予想になりました。
結局、元の予想どうりか、それ以上の猛暑になっています。
そして、最高気温や自己の話題がニュースになっています。
そのなかで、ひとつ不思議だったのは、火災報知機が誤作動を起こしたという話です。
センサーの設置された場所の温度が6~70度になったそうです。
結果、多数の警報が出され、いずれも誤作動と判断されたようです。

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2007年08月05日

馬耳東風

この言葉は、いい意味なのだろうか。悪い意味なのだろうか。
いい意味ではないと思うのだが、どうもひょっとしたら思い違いをしているのかと不安になる。
無益なことをいくら吹き込まれても、気にせずに受け流して置けることは、いいことなのだろう。
ただ、東風というからには、ありがたくないはずは無いので、受け流すことは横着なことではないか。
理解できなくても、何がしかの感じは得られるのだろう。
同じような言葉で、「馬の耳に念仏」という言葉もある。
「馬の耳にも念仏」というのもあったように思う。
馬の耳に念仏とは、中途半端に偉い人(=本当には偉く無い人)が、はき捨てる言葉のようにも聞こえる。
縁なき衆生は度し難し云々と。

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2007年06月11日

「自由と規律」

「自由と規律」という本があります。
かっては15歳前後で一度は読んでおく一般教養書だったと思います。
最近ではもう読まれることもあまり無いと思います。
実際に、この本のタイトルを思い出すこともありませんでした。
ところが、ひょんなことで、思い出しました。
もう旧聞に属しますが、かの総理大臣が、教育関係の会を作り、代表者にこの本を渡したという、新聞記事をみました。
代表者は、年長者であり、教育関係を総括するような人ですから、当然この本は読んでいるのではないかと思いました。
新聞記事では、そのようなことには全く触れていませんでした。
代表者も黙って受け取ったのでしょう。
大人としては、云々することも無いことなのでしょう。

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2007年06月08日

水な月

雨が少ない日々が続いています。
少雨に関する情報なるものが、気象台から何度か出ました。
梅雨前線は南のほうにあるようですから、そのうちに梅雨空になってくるのでしょうか。
水不足の夏は、結構こたえます。
想像もしたくない気分です。
時分季節は、そのままがいいように思います。
暑いときは暑く、寒いときは寒く。
そして、雨の季節は雨がいい。

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2007年05月07日

雨に咲く花

新暦ですから、4月5月は雨の日も結構多いようです。
五月晴れにはまだしばらくかかるようです。
今は、いろいろな花が咲き始めています。
花には、やはり雨が必要なのでしょう。
花壇、庭木などでもよく咲いていますが、道端、田んぼの中でもよく咲いています。
最近、道端でポピーを見かけるかとが時々あります。
乾燥に強そうな花ですので、どこかの花壇から飛んできたのでしょうか。
おろかばえなどという言葉もありますが、結構しっかりと美しく咲いています。

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2007年04月12日

夜目、遠目、傘の内

彼岸も過ぎてだいぶ日が長くなってきました。
桜は今が盛りですが、これからいろいろな花の季節が続きます。
花を見るのは、昼間より、朝か夕方のほうが味わいがあるようです。
もっとも、夜桜が好まれているのは、花のせいだけでは無いのかもしれませんが。
真昼の花は、勢いが無いように感じます。
光が真上から当たるからでしょうか。
影も付かないし、陰影に乏しくなってしまいます。
それだけではなく、光のせいもあると思います。
日中の光には紫外線などの混ざり物が多いのでしょう。

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2007年03月25日

3月になったとたんに、今年も燕がやってきた。
2月までは記録的な暖冬だったので、気温に誘われてやってきたのだろうか。
やってきた途端に、平年並みの寒さに戻ってしまったので、つい寒くないだろうかと心配になってしまう。
桜も早く咲くと報道されたが、コンピューターへの入力ミスだったとか。
燕も温度にだまされたのかと思ってしまう。
実際は、鳥は温度に反応するよりは、日照時間に反応して行動しているのだそうです。
そういえば、ひばりも早々に鳴き始めました。
植物は気温に反応しているのでしょうが、鳥は鳥の都合で生きているのでしょう。

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2007年03月12日

左の薬指Ⅱ

左の薬指を怪我して、先端に添え木を当てていました。
薬指など、その名のように、薬を挽いて(漢方薬などを薬研で粉にする)その調合具合を薬指でなめてみるくらいしか使わないものだと思っていました。
添え木を当ててみます多、手を使う度に、カチカチと音がするのにきずかされました。
それまで、何気なくしていた動作のほとんどに、左の薬指も参加していました。
それも、結構重要な働きをしているようです。
早く治したいので、なるべく音がしないように、かばって生活をしましたが不自由でした。
黙ってきずかれずに仕事をこなしてくれているのを、充分に認識しました。

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2007年03月11日

左の薬指Ⅰ

去年の暮れに、左薬指の先端を骨折してしまいました。
鉄製の防火扉と手すりにつめてしまいました。
一瞬の出来事でしたが、回復には時間がかかりました。
それでも、非日常のことが起これば、今まで気が付かなかったことが多々ありました。
まず始めは痛みの感覚です。
薬指全体が、氷水につけられたように冷たく感じられました。
右手で触ってみると、その指はずいぶんと厚く感じるのですが、何もせずにいたら、凝るほど冷たく感じました。

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2007年02月23日

暖冬

とうとう旧正月も過ぎてしまいました。
一向に寒くならないまま春になってしまうのでしょうか。
建国記念日あたりに寒くなるかなと、変に期待をしていましたがだめでした。
暖かくなるのを待つのはいいものですが、寒くなるのを待つのはどんなものでしょうか。
普段どうりの季節の変化は当たり前で、感慨が薄れているのでしょうか。
寒くならないときに、自然のメリハリに気がつくのかもしれません。
寒いのはいやですが、寒くならずに暖かくなるのも厭なものですね。
わがままだとは思いますが。

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2007年01月13日

「えらい」

讃岐弁では、しんどいことを、「えらい」といいます。
ほかの地方でも、同様な使い方をするところが何箇所かあるようです。
その地方に共通するのは、古語が残っているところのように思えます。
讃岐弁は、奈良方言と共通する言葉があるようです。
讃岐は、奈良興福寺などの荘園が多かったので、奈良の言葉が広がったのでしょうか。
奈良時代にすでに開発されていたところで、「えらい」がしんどいという意味に使われているのではない課と思います。
これは、特に調べたわけではなく、単に思いつきです。
そうだったら面白いとは思いますが、どうでしょうか。

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2007年01月12日

正月

今年の三が日はずいぶん暖かでした。
もう春が来たのかと思わせる陽気でしたし、二日の雨も、春の雨のようで、もう花が咲くのかと勘違いをしおこしそうでした。
その後、しばらく寒くて荒れた日がありましたが、やはり、暖冬なのでしょう。
春と秋が同居しているような感じです。
年があけて、さあ今年もという改まった感じになれないでいます。
昔のように、数え年で数えて、新年とともに歳もとれば少しは、引き締まるのかとも思います。
数え年で年齢を数えるのなら、暦も旧暦の方がいいかもしれません。

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2006年12月07日

線と面

「点と線」という推理小説がありましたが、以下は全く別の話です。
最近といってももう何年にもなりますが、洗面のときに頭の地肌が透けて見えるのにきずきました。
それがどんどんはっきりしてくる一方です。
とくにそのために何をしているというわけではありませんから、当たり前なのでしょうけれど。
髪を分けるのも、以前は線で分けられていましたが、最近はどう見ても面で分かれているようです。
それも長方形ではなく、ギザギザになった長多面体で分かれているようです。
髪の毛が、かわいそうなくらい細くなっていますから当たり前なのでしょう。
腹には、脂肪がついていますが、頭には栄養は行かないのでしょうか。
それとも、頭皮にも脂肪がついて、髪の毛の成長をじゃましているのでしょうか。

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2006年11月30日

ストレスと食欲

いらいらすると何かものを食べて紛らすことがある。
口を動かせて落ち着くのは、乳児には特徴的でしょうが、大人にも心理的に名残があるのでしょうか。
いらいらとは別に、ストレスがかかると、空腹を感じてしまいます。
介護疲れのときに爆発的に物を食べたという話もよく聞きます。
車の運転も長距離になると、運動もしていないのに、空腹を感じてしまう。
かえって、体を動かせているときのほうが、空腹は感じない。
このほうが、たぶん人間にとっては、正常な状態なのでしょう。
体を動かさないと、体に悪い。

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2006年11月19日

寒がり

急に寒くなってしまいました。
なんだか、昔に比べて寒さが身に凍みるように感じてしまうようになりました。
年のせいですかね。
今日のように寒いと、吐き気がするようです。
冬眠しようかと思ってしまいます。
数年前に、開腹手術を受けました。
それも、冬と夏に二回も。
どうもそのころから、余計に寒がりになったように思います。

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2006年10月31日

難聴と耳鳴り

歳の所為か、耳の聞こえが悪くなってきたようだ。
それにつれて、時々耳鳴りを感じることがある。
特に、周りが静かなときに聞こえる。
聞こえるというよりは、感じるというほうがあたっているかもしれない。
ジーン、シーン、しとしと、を急に感じたりすることがある。
多くは、ああ、聞こえているなと思っているといつの間にかきえてしまう。
しとしと感は、朝の布団の中で感じることが多い。
今日は雨かと思って置きだしてみると、いい天気だったりする。
それでも、そんな日は、静かな朝のことが多い。

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2006年10月22日

古いノート

生来の怠け者だから、身の回りにいろいろな物が積み重なってしまう。
必要になったときに、積み重なった山から、目的物を掘り出して何とかしのいでいいるが、小規模ななだれなどはやり過ごしているが、やはり時期が来るとどうにもならなくなってしまう。
あきらめて整理にかかると、全く使っていないノートが出てくることがある。
表紙などは、上に物が乗っていた部分は、そのままではみ出していたところだけ日焼けしていたりする。
めくってみると、新品の風合いはもうなくなっていて、パラパラとはめくれない。
重さのせいだけではなく、すこし湿った感じもする。
それでもページには何も描かれていないから、処分してしまうのも気が引ける。

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2006年10月08日

仲秋

いつの間にか涼しくなってしまいました。
この頃になると、月見かなと思ってしまいます。
6日は中秋でしたが、雲明かりだけで、月は出ませんでした。
無月というのだそうです。
この時期の満月は、大体見られないようです。
十年に一回くらい見られる確率だそうです。
そうなると何とか見てみたくなるのが人情でしょうか。
翌日になって見られたら、満月ではないが、これはこれでいいもんだと云うことになったのでしょうか。
十六夜の月と名をつけて楽しんでいます。
昨日は、見事な月が見られました。外出時に電車の窓から、軒をかすめてまだ輝きの乏しい月の出をみました。
前日見られなかったのでそれでも満足しましたが、夜が更けて中天に上った輝くばかりの十六夜月を堪能しました。
秋の月は美しいですね。
ゆっくり月を見るには、久しぶりでしたが、見ている間は体が開放されたような感じでした。

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2006年09月30日

黒衣

「くろご」と入力したら黒子と変換されました。
黒子は「ほくろ」のはずですが。くろごでもいいのでしょうかネ。
上は余談です。
歌舞伎などで役者のほかに黒衣を着た人が動き回っています。
顔を見せないようにしていて、いくら見えても見えないものとするというのが日本の約束事です。
日本の芸能の世界では普通の約束事なのかも知れませんが、世界的にはそういうことはあるのでしょうか。
芸能の世界でなく、普通の社会的な組織体では役割分担として、代表者とそのスタッフという関係は世界的にも普通のことでしょう。

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2006年09月26日

ジャンボタニシ

やっと涼しくなってきました。
この夏はあまりの暑さに、じっと引きこもりを決め込んでいましたが、九月も半ばを過ぎて、風もやっと涼しくなって誘われるように散歩を再開しました。
稲刈りの終わった田んぼもボツボツ在りました。
気持ちよく歩いていたのですが、田んぼ脇のコンクリートの水路の壁に、なんとも不似合いなピンク色の塊がたくさん張り付いているのを見つけました。ピンクのガムを貼り付けたように見えます。
なんとも似合わない雰囲気です。
外来種のタニシが棲みついているという話は聞いたことがありました。
これがその卵なのでしょうか。

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2006年09月20日

木鶏

木彫りの鶏がある。
名人が彫れば、生きているように彫れる。
じっと見つめても、心は読めない。
猫をけしかけても、同様の気配も示さない。
こんな木彫りの鶏を、双葉山は手本にしていたという。
この故事はもっと昔に、あったように思う。
日本の話だったか、中国のことだったかも今は思い出さない。
相手によって対応を変えれば、態度にも出る。

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2006年09月19日

平行線

昔から気になっていることに、平行線は交わらないという定義があります。
一定の範囲で交わらない二本線は、範囲を広げれば交わることもあるでしょうから平行線とはいえないでしょう。
そうすると、どこまで行っても(すなわち無限です)交わらない二本線が平行線ということになります。
しかし、これは証明できません。
無限とは、境界が無いのですから存在すると認識すること自体、矛盾では無いでしょうか。
無限とは、有限がなければ存在しません。
平行線とは、無限では交わるかもしれないが、有限の間では交わらないというのが正しい定義では無いでしょうか。

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2006年09月10日

歳をとりたくない大人たち

最近の大人(もう充分に老人です)たちは、昔に比べて歳をとるのが遅くなっていると感じているようだ。
昔の人に比べて年齢に0.8を掛けるくらいが丁度いいという人もいるようです。
はじめて歳をとっているのに何故判るのでしょうかね。
同じ年齢の人が増えているからそう思っているのでしょうか。
もっと政治的な話で、年金制度が破綻したからまだ若いと暗示に掛けているのでしょうか。
長生きはするようになりましたが、歳をとっていることには変わりは無い。
歳をとった生活が想像できないので、今の生活を先延ばしにしようとして八掛け説を唱えているのだろうか。

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2006年08月22日

幽霊

お盆も終わりましたが今年はまだまだ暑い日が続きそうです。
怪談話でも聞けば少しは涼しさを感じるかも知れませんが、こう暑いとそんな気も起こらない気分です。
そこで幽霊の話でも考えて納涼に。
日本の幽霊は、足が無いのが定番のようですが、足を描いている掛け軸もあるようです。
足の無い幽霊は、丸山応挙一派が描いて以来有名になり広まったのだそうです。
何故足を描かなかったのかといいますと、ああいう絵は単独で見るものではないのだそうです。
床の間に飾って、香をたいて全体をいろいろに見立てて遊ぶことから始まったのだそうです。
香炉や壺を軸の前に飾りますから、香炉から立ち上った煙の中に人を描いたために、足がなくなったのだそうです。
当時の流行で、中国では、西太后が壺から出てくる絵が流行っていてその流れだそうです。
見立てて遊んでいたのでしょう。なぜか幽霊になってしまいましたが。

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2006年08月14日

パターン認識

何かの模様が別のもに見えてしまうことがある。
雲が何かの形や人間に見えたり動物に見えたりする。
雲などは時々に形を変えるが、模様はいつまでも替わらないから、人の顔に見えればいつでも人の顔に見えてしまう。
立方形の線画を見ていたら、奥行きが逆に見えることもある。
見えてしまえば元の見方に戻すのに苦労することもある。
二、三本の線画の模様が人の顔に見えることもある。
もともとその程度の情報で人の顔と判断しているのだろう。

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2006年08月09日

爪も髪もすぐ伸びる。
根元にある細胞がせっせと作っているためだ。
当然、手元にある材料で作っている。
材料は血液が運んでくる。
体の末端にある毛細血管だから、何かあれば流通が滞る。
ストレスがあれば血管が収縮するので、末端は補給が悪くなる。
手などを怪我しても、補給路が変わり充分には届かないかも知れぬ。
その結果、製品としての爪は品質が悪くなる。

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2006年08月04日

こうもり

 子供がまだ小さかった頃に、こうもりが家の中に飛び込んでくることが多かった。
 子供たちは、面白さ半分と怖さ半分で大騒ぎをするが、捕まえることも追い出すこともできずカーテンの陰や壁に張り付いている黒い影を見つけることになる。
 何とかしろと父親に言ってくるが、こちらも窓から追い出すことしか思い浮かばず、部屋の電気を消してみたり、つけてみたりしながら、箒や叩きなどを振り回して何とか追い出していた。
 それでも何度も繰り返すうちに、偶然、長い棹の変わりに、筒状の棒(?)を振り回したところ、こうもりは筒には反応せずにじっとしているので上手く筒の中に入れることができることを発見した。
 その後も何度も飛び込んできたが、筒さえあれば百人力で手際よく捕まえて追い出すことが出来るようになった。

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2006年07月31日

皺(しわ)

 働けど働けどと云った人もいますが、手持ちぶたさでなんとなく手を見つめる事もある。そして、皮膚が縮緬状に萎縮しているのに気がついた。
手首を反らせてみるとよく分かるが、細かく輪になったヒダが指先に向かって押し寄せている。
布なら縮緬で高級なのかもしれないが、皮膚ではあからさまな老化の証拠になる。
想えば、長年海や山、テニスコート、ゴルフ場で紫外線にさらし続けたし、仕事では消毒薬で常に手を洗っていた。
そんなに長く使ってきたとは思っていなかったが、時間のたつのは速い。
少年老い易くとはこのことだ。
じっと手を見てもどうにもならぬ。皮膚の萎縮は全身におよんでいるのだろう。

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2006年07月27日

中庸

 中庸は徳とされています。儒教での中庸とは、きっと難しいに違いないので読んで似ようとはなかなか思い立ちません。私の頭で勝手に理解している「中庸」のイメージは真ん中とか偏らないとか位の理解です。これが寄り合いなどでの話し合いで中庸を目指したらどうなるでしょうか。中庸を旨とすると、いろいろな意見の真ん中に就こうとするのではないでしょうか。大勢の真ん中あたりが居心地がいいと思うと大体は体制に就くようになるのではないでしょうか。このような時は、わずかの偏ったというか、積極的な意見があれば、そちらのほうに重点がかかった結論が出るでしょう。また、別の少数の意見が出れば、そちらに傾くことになります。簡単な「中庸」を大勢が支持する場合は、少数の目指す方向に話がまとまります。

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2006年07月19日

イチジクの葉

 イチジクのシーズンになりました。散歩中にもイチジクの枝から直接、実が出ているのが判ります。不思議といえば不思議な気もしますが、こっちのほうが、普通に実がなるのより古い形かもしれないと思ったりします。少し調べれば判るとは思いますが、今は実より葉っぱのほうです。
 西洋人にとっては、下着の始まりは、イチジクの葉っぱなのでしょうか。アダムとイブの絵にはイチジクの葉っぱが、必ずかどうか走りませんが描かれています。これもイチジクかどうか確認したわけではありませんが、記憶にはそう残っています。それで、何故イチジクの葉っぱなのだろうかと疑問になります。西洋ですから葡萄の葉でもよさそうに思いますがなぜか記憶はイチジクです。下着代わりにするわけですから、きっと手じかにあった葉っぱを使ったのでしょう。イチジクは枝を刺しておくだけですぐ着くそうですから、狩猟帰りにでも遊びでイチジクの枝を採ってきて家の横にでも植えたのでしょうか。

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2006年07月16日

「おとな」

 大人と子供という言い方があります。これは年齢を基準に分けているのでしょうか。大人料金、子供料金という場合には、年齢を基準にしているのが多いのでしょうが、あるいは体積、容積も基準に入っているのかもしれません。
 「おとな」というときには、年齢が一応成人に達しているだけではだめでしょう。立ち居振る舞い、判断などが「おとな」の域に到達しなければ、いつまでたっても子供のままということになるのでしょうか。若くても大局を踏まえている人も多いですし、いつまでたっても若者のままの大人もいるということでしょう。
 指導的立場の人達が、「おとな」になっていなければ、危なっかしいことこの上ない気分です。 指導される立場としては、交感神経が緊張しっぱなしで、燃え尽きてしまいそうになります。

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2006年07月07日

出処進退

 歳をとってくると、仕事の終え方が気になってくる。
 自分で納得できる仕事ができているかどうかがまずは問題になるけれど、自分で納得していればそれでいいのかという問題もでてくる。
 対人の仕事は自己満足では済まないけれど、自己評価は適正には行えない。信頼できる他者の評価がいいのだろうけれど、辛口の評価は耳に届きにくいし、手本にしたい人はさっさと隠遁してしまったのかと思うくらい。
 山の中で仕事をしているわけではないのだから、需要がなくなればそれまでと割り切ってもいいのだが、それまでの時間も無為なようにも思える。

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2006年07月02日

猫に仕付けられる

 今年の正月に、毎日新聞日曜版のコラムで猫に仕付けられる話を読みました。
 今年の冬は寒さが厳しかったので室内で猫にえさをやっていても、なかなか暖かいところを離れないので、ついえさをそこまで運んでやったら次回よりそれまでの餌場に出てこなくなったという話でした。
 これは猫にかこつけて人間の世界をきりっとているようで、今でも事件話題を見聞きするたびに思い出して感心しています。後でコラムニストは女性哲学者と知りました。
 これは飼い主が気を回したり、相手の理由を思いやったときにおこることです。この猫の立場を積極的に利用している人間も多いようです。警察のほうから来た、消防署のほうから来た、などという詐欺の話は代表例でしょうか。

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2006年06月28日

B級グルメ

 美食家のことをグルメという。
 B級グルメという言葉があるが、A級グルメという言葉はあるのだろうか。
 美食家即グルメで、美食家の「ような」者をB級グルメというのだろうか。用語の使用例を思い浮かべると、どうもそんなに単純ではなさそうに思える。
 美食家は、材料の産地やそれぞれの特徴に通じていて、調理法から、器の特徴、文化的な発祥の経緯、味の伝承変化にまで詳しく目配りの聞いた人なのでしょう。
 当然、出される料理にもそれだけの陰影と物語があり、食する人も当然その場にA級として存在するのでしょう。
 残念ながらそのような料理を食したことがないので、美食家の範疇には入れない当方としては、B級グルメ(自称)として料理を味わうことになってしまう。

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2006年06月26日

雨が降る

 今年の梅雨はしっかりと雨が降る。
 窓の外の緑と、梅雨特有の雨脚を見ていると、傘を差して歩きたくなる。この気分は昔からのものだが、誰でもそうなのだろうか。雨の中をわざわざ出歩きたくもないというのが多くの人の感覚なのかもしれない。
 自分の中の閉所恐怖症が、雨で締め切った部屋の中を耐え切れなくしているのかもしれないとも思う。また、「雨が降ります雨が降る。遊びに行きたし・・・」と童謡にあるような自分の幼児性によるものかもと思ったりもする。きっと両方なのでしょうが、雨に外に出ると、ひんやりした空気の肌触りと、雨に洗われた清々した景色と気分,匂いまでも味わうことができる。
 雨のときは気圧が低いので気分、神経が落ち着かされているのかもしれない。こんなときは一人になるのが一番だと思う。

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2006年06月23日

黒い瞳

 昔、「黒い瞳」というタイトルの歌があったように思う。外国の曲だったように記憶している。もともとのタイトルは、知らない。「黒い瞳」というのは、直訳かもしれないし、日本向けのタイトルかもしれない。直訳であれば、外国人にとっては、黒い瞳は魅惑の対象になるのだろう。日本でも魅力的とは思うが、当たり前すぎて気にならない。外国で意識されるのは、他の色の瞳も多いからなのだろう。
 左右の瞳の色が違う猫を見たことがある。飼い主は、「瞳の色の違う猫を飼っていると、何かいいことがある」といわれているるがまだ何もないと笑っていた。青い瞳と、金色の瞳を左右に持つ猫は、珍しいけれどもそこそこの数はいるのだろう。
 瞳の色には、何種類かあるようですが、この違いは何が原因なのでしょうか。遺伝的に決まっているといわれそうですが、本当に沿うでしょうか。

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2006年06月19日

スローガン

 スローガンは、意図的に作られている。意図的に作られたものをスローガンというのかもしれない。商品コピーは、はっきり意図的に作られたものです。この二つはどう違うのでしょうか。
 キャッチコピーは、宣伝、広告などの、何かを伝えるために作られた文章なり、言葉なのだそうです。その基本は、どうも独創性にありそうです。江戸時代に「引札」という宣伝チラシがあったそうですが、それにかの平賀源内が、独創的な戯文を書いて耳目をひきつけたのが始まりとされているようです。その後、戯作者たちが続いたとのことですが、大衆の耳目をひきつけるという目的のためには、新規性、独創性が必要だったのでしょう。二番煎じでは目的を達せられません。
 スローガンは、組織、団体の理念や運動の目的を、簡潔に言い表した文句とのことです。スローガンは組織の内側に向けられた言葉のようです。そうだとすると、新規性や独創性は必要なくなります。いや、あったら困るのかもしれません。集団の構成員がまとまればそれでいいのです。語源は、鬨の声(war-cry)だそうです。鬨の声ですから、いつもの決まり文句でいいのでしょう。さらに、スローガンは、集団や組織の行動指針を表す言葉としてのモットーとも区別されているようです。すなわち、スローガンは宣伝的な標語だそうです。

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2006年06月17日

病気と病人と病名

時々、「気のせいだ」と云われたという患者さんにであうことがある。「すみません、それはきっとこういうことでしょう」と説明することになる。気のせいだと云った医者が本当にそういったのか、患者さんがそう受け取ったのかは判らないが、ありそうなことだとは思う。最近の医療は、数字が一人歩きしすぎているのかもしれない。数字が悪いのでは無く、理解の仕方と利用の仕方がおかしいのだろうと思う。血液検査の数字が正常値(正確には基準値といいます。)が、基準に収まっているから病気ではないと受け取ったり、X線検査(たとえばMRIなど)に以上が無いから心配ないと放置することになるのかもしれない。また、何か症状があり、検査をうけても異常が見つからず「、○○には異常が無い」というつもりが、後半だけ伝わったということもあるだろう。また「精密検査を受けてはっきりしたら、何かやりようはあるのでしょうか」とたずねられて、「問題ないです」と答えて、「どうしようもない」と受け取られることもあるでしょう。

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2006年06月13日

職業とはなんだろうか

 最近、日本人の職業意識がおかしくなっているのではないかと感じることが多くなりました。金を儲けて何が悪いと云った人もいます。書類、報告を創作して、ばれるとまだ正式文書ではないという人もいます。報告が来ていない、聞いていないという人もいます。責任をとるつもりもないようです。一応、きちんとした職業と目される人達でもこんな有様です。教育がおかしいという前に、自分たちの行動を見つめなければだめでしょう。子供の目には、建前ということはなく、異常が正常に映ってしまいます。
 職業をどう行うかは、かなり定義づけが難しいし、人それぞれかもしれません。
 かって、夏目漱石は、「人のためにするのが職業」と定義づけたそうです。自分のためにすることは、「趣味、道楽」です。日本的な感覚では全くの正当な考え方と思いますが、いかがでしょうか。他人に対しての仕事に徹することで、自分が存在することができるという考え方です。金銭は付随して入ってきます。金銭は、意識的に稼ぐものではありません。ところが、始めに書いたようなことを言う人達が増えてきたように思えます。何か変な感じを持ってしまいます。

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2006年06月09日

自画像

 有名な多くの画家は自画像をかいているようにおもう。いや、はほとんどの画家は自画像を描いているのではないだろうか。絵で自己表現をしているのであれば、今の自分を表現するのにもっとも直接的なことは、自分を対象にして絵を描くことだろう。画家に知り合いはいないので聞いてみたことは無い。多くの自画像があるということは、普通の作品を通してされる評価には充分には満たされず、もっと直接的に自分を書くことで自分の意思なり感情なりを訴えているのかもしれないなどとつい思ってしまう。もっとも私が気になっていることは、もっと単純なことです。それは、画家は自画像を描くときに、鏡を見て書いているのだろうか、写真(あればの話ですが)を見て書いているのだろうか、それとも空想(抽象)で書いているのだろうかということです。多くの自画像は向かって左向き(自分の顔の左側)を描いているほうが多いように思うが、右向きの自画像もあります。これは、右利きの画家が多いからかも知れませんが、そんな単純なことではないかもしれません。

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2006年06月01日

UFO

 最近、イギリスの国防省が、意図的にコントロールされた未確認飛行物体は確認されなかったと発表したそうです。ほとんどは、自然現象で理解できることだったのでしょう。
 私も、あれがUFOなのかなと思う物を見たことがあります。
 あれは「タロー」(犬です)と散歩をしていたときですから、もう十数年前になります。季節も覚えていませんが、寒くは無かったのでちょうど今頃の時期だったかもしれません。背後から南の山の端へ、音も無く本当にスーという感じで飛んで生きました。夕暮れにはまだ間のある時刻でしたが、西の空の色が少し変わりかかった時で、雲もほとんどありませんでした。不思議な感覚だったのは、距離とスピードの感覚が全くつかめなかったことです。アレーというような感じのうちに山の向こうに行ってしまいました。結構時間はあったような気がしますが、実際には十秒前後だったかもしれません。

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2006年05月29日

鏡、境・・・

鏡とか境とかの漢字のつくりの方は音が湧き出してくるような、あるいは走り出してくるような形で、神のコトバだそうです。人間が出すことばに対応する音でしょうか。人間の言にたいして、自然、神からの回答なのでしょう。釜鳴神事というのがあるようです。釜をたき、蒸気で音が出れば吉兆なのだそうです。日本では、自然現象はすべからく神の神託であり、自然とともに共存して生活するのが生き延びる最善の方法だったのでしょうか。そのための神との会話に使う音が「言」という字であらわされてきたのでしょう。口から音が出ているようにも見えます。神との会話ですので、言を左右するなどは考えもできないことであり、言質を置けば神懸けてということなのでしょう。綸言汗の如しとも言いますしね。ところが、最近は日本人もおしゃべりになってきたのでしょう。言が言葉になってしまいました。置くはずの言が葉っぱのように軽くなってしまい、置けなくなったのでしょうか。どこへ飛んで行ったの判らなくなることばかりです。昨日云ったことは、過去のことで、今言うことが最新版ですといわんばかりの話が多いですね。昔言ったことまで責任は取れませんよといわんばかりです。とくに一応えらいとされている人の話に。

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2006年05月24日

万年筆

 いつの頃からか、ボールベンを使うようになっていた。使ったときの硬さがきになって、できるだけ当たりの柔らかいものを選んでいたが、それでも滑ったりするのが気になってきた。そこで、何十年ぶりかで万年筆を使い始めた。使ってみると非常に気持ちがよい。抵抗無くすべるようにかける。緩急も強弱も重い道理になる。別にそういうことを意識して書いているのではないが、書いた結果に現れる。自分が書いているのはこういう字であったのかと、妙に納得させられる。自然に太さも変わっているし、曲線で書けるのがなんともうれしい。筆というとうり、毛筆で書いているような感覚が戻ってくる。もっとも毛筆ではとてもかけないので、万年筆を発明してくれたことに感謝するばかりです。
 どうして万年筆よりボールペンが普及してしまったのだろうか。鉛筆もよかったように思うが、最近でも使われているのだろうか。
 

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2006年05月23日

大量生産

 最近は、消費財のほとんどが大量生産されているのではないでしょうか。大量生産すれば生産効率が上がり、生産コストが下がるのでしょう。けれども、これは言い換えれば、必要でないものも大量に生産していることにはならないでしょか。必要なものを必要なものだけ生産することが生産性が高いのではないでしょうか。効率が高くても生産性が高いことにはならないのではないでしょうか。
 古代、稲は一粒で二十五粒の収穫があったそうです。麦は四、五倍だそうです。ちなみに、牛は与えた飼料のカロリーと同じだけのカロリーしか食用にはなっていないそうです。稲は、生産性が高いので小規模生産が可能でした。麦などは、生産性が低いので、大規模農地に多数の労働力、農薬などが必要だったそうです。結果的に生産されるものは種類が少なくなるのではないでしょうか。大量生産では、切り落としているものが多すぎると思います。

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2006年05月21日

失敗学

目的に反して失敗してしまった原因をしらべることは重要です。なぜ目的を達せられなかったか、目的から外れてしまったか。これをいろいろの学問で検討する学会ができたそうです。JR西の脱線事故は、システムの一部に過剰な負担がかかったためかも知れません。シナ事変が拡大したのは軍隊システムの一部が統制をはずれて暴走したとも言われています。病気になるということも、失敗学のひとつになるかもしれません。人間の体は、エネルギーを効率よく発生することで活動しています。エネルギー源は、脂肪、糖(グリコーゲン)を分解(酸化)して、ATPという高効率の物質を作ることで生きています。これが一方通行で進むのであれば、燃えカス(酸化の結果)が溜まってしまいます。使い捨てカイロが、熱を発生して後に錆びた鉄くずが残るようなものです。

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2006年05月17日

田植え

 五月になっても、不順な気候が続いています。それでもそろそろ田植えの準備が始まっているようです。昔の記憶を打度って見ると、決まった風景が浮かんできます。
 この時期、田圃に水が入るとその一角を仕切って苗代が作られる。また、田植えの後には芋(地芋?)も一緒に植えられていた。畔には豆が植えられていたように思う。
 この時期の懐かしい景色です。しかしそのころに感じていたのは、わざわざ苗代から田植えで植えなおすのが、二度手間のような気がして不思議だったし、同じ水田の中に芋も一緒に植えるのかも良くわからなかったことを思い出します。ところが最近読んだ本で目からうろこが落ちる世に疑問が氷解した(ように思う)。腑に落ちることはある種の快感です。

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2006年05月11日

高級感

 製品の高級感を謳ったコマーシャルを見ることが多くなったように思います。世の中が、少し本物志向になってきているのかとも思いますが、なんとなく気になる言葉です。
 あからさまに「高級感」といわれてしまうと、どぎまぎしてしまいます。高級感があるといわれれば、悪い気はしないのでしょうが、本当は高級ではないのだが、感じだけは高級ですといわれているように受け取られてしまうのではないかと心配になります。本当に、量販品であれば、素直に納得してしまうのでしょうが、一応、かなりの額を支払って手に入れるものも、「高級感がある」と売り手から言われればどう受け取ったらいいのでしょうか。第三者から言われれば、自分の選択眼と支払額との釣り合いを推し量ってしばらくは考え込んでしまうところでしょう。
 コマーシャルは、売り手の宣伝ですから、高級感を売り物にするのは何の問題もないし、当然だろうとは思います。

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2006年05月08日

寄り合い

 新年度が始まり、いろんな会合が多い時期になりました。昔の地域の会合には、神社などが好く使われたのではないでしょうか。大まかには大字(おおあざ)にひとつ神社があるのだそうです。平成の大合併で大字、小字(こあざ)も消えていくのでしょうが、寄り合いの意味も変わってくるのでしょうか。
 昔の寄り合いに出席するには、正装に威儀を正して出たのだそうです。幾日かかっても衆議一決するまで続けたのだそうで、まとまった後は何事も無かったように日常へ帰っていったそうです(「忘れられた日本人」より)。神社に関する寄り合いでは、出席者は、禊をしてから、神になって会合に出るそうです。神々の相談ですから基本的には自分に都合のいいような話の流れにはならないのでしょう。この場合は、帰宅するためには人に戻らなければいけないので、直会(なおらい)という食事会を経て人の世に戻ったのでしょう。今で言う打ち上げでしょうか。最近は、禊が無くて、打ち上げばかりという気もしますが。

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2006年05月02日

麦飯

 堀江氏が三ヶ月あまりで八キロ体重が減ったそうです。それで麦飯が減量に良いと思われたのかどうか知りませんが麦の注文が増えたという話が新聞に載っていました。相変わらずすばやい反応ですが、減量にはどうでしょうか。
 過去にも色々な減量法が話題になりましたが、今はどうなってしまったのでしょうか。下水にキノコが人知れず、大量に発生しているという笑い話も聞いたことがあります。他にもこんにゃくやらキャベツ、玄米などありました。ステーキ減量法というのもあるようです。これは、でんぷんや脂肪を極端に減らし、たんぱく質(この場合はステーキ)で満足するというものです。やったことのある人に聞いてみますと、体がだるくて耐えられないそうです。体のエネルギーは糖質と脂質ですので、ガソリンを入れずに動くようなものですから当然といえば当然のように思います。

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2006年04月30日

百花放斉

 四月も終わりになりました。旧暦では四月三日。明後日は八十八夜。初夏がスタートしています。 
 この時期の散歩は色とりどりの新芽や花などに出合えて目も鼻も清清と生き返るようです。今日は山つつじの沁みこむ様な赤と矢車草の青い花が印象的でした。タンポポの丸い綿毛も緑の中に白く散らばっていましたが、こちらはこれから飛んでいくのでしょう。これから、いろいろな花が一時に咲きそろってくるでしょう。どの花にも一年を乗り越えた強さのようなものを感じます。
 来年咲く花も同じように見えるでしょうが、きっと一年を乗り越えた別の花を見ているのでしょう。見ているこちらもきっと同じように見えても変化しているでしょう。どんな色を見ることが出来るか、楽しみにはしています。同じだったらショックが大きいと思います。変化を認められる感度が残っていることを希望しています。

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2006年04月19日

高層ビル

 遅ればせながら、東京都庁の展望階に昇ってきました。四十何階かにありました。四十階で大体二百メートルの高さになるそうですから、高松ではちょっとした山の高さになるかもしれません。到着後、何分かは揺れているのを感じましたが、その後は感じなくなりました。ほんとに揺れていたかといわれれば、証明は私の感覚だけですからなんともいえませんが、あれだけの高さに建てるのですから揺れないように建てるほうが難しいと思います。瀬戸内海で小舟に乗って揺られているような感覚でした。すぐに慣れたのか感じなくなったほうが驚きでした。
 毎日、あの高さで揺られながら(慣れて感じなくなっているでしょうが)働いている人は大変だろうと思います。重要な意思決定に影響もあるのではと心配しました。余計な情報(揺れ)を御しながらですから、判断が荒くなりそうな気がしました。ヨットなどで慣れている人もいるでしょうが、全員ではないでしょう。もっとも東京に住んでいる人は、多かれ少なかれ空中生活に慣れているのでしょう。あがったり下がったりでの移動が多かったですから。

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2006年04月13日

花に嵐のたとえもあるぞ

 今年の春は天候不順のままに終わりそうです。
 彼岸の中日にツバメが到着して、巣をわずかに修復したのですが、すぐに冬に逆戻りしたかのような寒さになりました。ツバメが寒さに耐えられるか心配しましたが、よく考えてみると、本物の羽毛に包まれているわけですから案ずることは無かったと後で気がつきました。
 桜も関東で満開になってもこちらはまだまだでしたが、四月の声を聞いてやっと咲き始めましたが、満開になるのを狙ったように強風と雨がやってきました。その後は黄砂。雨がやんでも朝日は黄色く煙っていました。
 天気に合わせたように新年度がドタバタとスタートしました。色々制度も変更があったのでデータベースの設定をよたよたと済ませました。旧年度のデータはもうあまり見ることもなくなるでしょう。
 四月は新しいスタートの季節ですが、同時にスタートすれば別れですので、暮れなずむ空に肌寒さも感じてしまいます。

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2006年04月02日

人という字

 人という漢字は、人間同士がお互いに支えあっている形をしているという説が流布しているようです。
きっと誰かが人生訓のつもりで思いつきで持ち出したものでしょうが、漢字の説明としてはウソでしょう。もしそれが正しいのであれば、人は複数をあらわすことになります。また、もしそうとすれば素直に見ると、はじめの人が、次の人間によりかかっていて、後の人が前の人を支えている形に見えます。人と人の間に隙間が無く、擦れあっているようにも見えます。間が抜けて、擦れあって熱が出そうです。今の世の中に棲む人間の説明としては正しいかもしれません。
 人生訓としては、協調を説いたのでしょうが、今の世の中は、人を踏みつけても、上に立てというような皮肉な世界が広がっているように思えます。性善説と性悪説という言葉があるくらいですから、昔からあちらに振れたり、こちらに振れたりしているのでしょうが、今の世の中は、監視カメラの大増設時代です。

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2006年03月25日

いわしの缶詰

 大イワシの缶詰を食べました。最近の缶詰は生産者がこだわって旬の素材を選んで作っているので旨いという話を聴いたので、それではということで買ってきたものです。味付しょうゆ味と書いています。おいしさの秘密は、素材のこだわりですとも書いています。長径16cm.短径11cm.深さ3,5cm.の楕円形の缶で、金色をしていて、昔も弁当箱のような外観です。
 缶を開くのはやはり缶きりが必要でしたが、1分くらいで開けることが出来ました。切り口で指を切ったことを思い出して少しは昔の感覚を思い出したりもしました。頭と尻尾を除いて胴体で筒切りにしたいわしが2匹分、4個入っていました。揚がったときには30cm以上はあったかと思われる大きなものでした。
 大いわしとは、いわしの大きなものの一般的な呼び名でしょうか。それともそういう種類のいわしがいるのでしょうか。こちらではあまり大きなものは見かけません。

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2006年03月15日

ハードとソフト

 最近のものには似たようなものが多い。車などは、外観を見ただけでは車種はおろかメーカーさえもわからない。こっちが年を取ったせいだろうが、教えてもらってもわずかな違いだけしかわからない。空気抵抗とか排ガス規制とかを考えると同じようになってしまうのかもしれないが、味気ないことは否めない。また、コスト削減のために、部品などでも共通化して大量生産による経費削減を図っているのだろう。それでも車も道具だから用途に応じて多様な形になるはずだが。
 元来、日本人は、同じもので満足はしなかったと思うのだがいつからこれでよくなったのだろうか。軍隊では支給された服や靴に体のほうををあわせたというがその名残かなどと思ってしまう。あわせてしまったらその先はないだろう。
 もっとデザインとかソフトに価値を認めたほうがいいのではないかと思うが、なにか新しいことを付け加えると、すぐまねをするものが出てくるようだ。それがそこそこはびこって、あるいは取って代わってしまうのはどうしてだろう。

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2006年03月08日

お金の値打ち

 お金で買えないものは無いという人もいるようですが、本当でしょうか。百万円の札束も見たことの無い私には想像もつかないほどの額のお金を手に入れても、使い方にはあまりこれというのは無いようですね。皆同じようなことに使っているように見えます。実際に見たわけではありませんが、マスコミなどの人の口の端に上るのはどれも同じようなものです。車、ヨットなどが手始めで、自家用飛行機、今ははジェット機でしょうか。馬を持ったり、タニマチになったり。挙句は名画を手に入れ、死んだら一緒に焼いてくれだって。一生かかっても使い切れないほどもお金を稼いだ人の使い方としては、想像力が無さ過ぎるように思います。立派な人は、だまってきれいに使っているのでしょうが、こういう人の話は、こちらには届かないようです。

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2006年03月01日

三月

 もう三月になりました。雨の月初めです。
 三月は英語ではMarchですが、行進曲も同じ綴りです。ローマ神話の戦争の神マルス(Mars)の月だそうです。日本の戦国時代も、春が来て雪が解ければ、戦闘再開だったので同じ様なことでしょうか。中国では天高く馬が肥える秋が戦争準備なのでしょうが。その意味では、新暦ではまだ早すぎるように思います。まだ雪が解けきっていません。旧暦のほうが体感的にもいいように思います。
 今日は旧暦二月二日。年をとってくると自然の移り変わりがしっかりと身に沁みてくるように感じます。やっと自然と共生できるようになって来たのでしょうか。雨が降っても春が近いのを感じます。桜が咲くころが旧暦の三月でしょうか。
 暦を決めるのは、その時代の皇帝なり王様なりの権力者ですから、太陰暦にしろ太陽暦にしろ必ず隙間なしに決めているようです。うるう年やうるう秒を作っても遊びの時間は作らないようです。

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2006年02月21日

ゴジラの色

古生物学者が古代の生物の姿形をイメージするのに最も困難な作業は、その生物の色を想像することらしい。
生きている当時の色は、現在に生き残っている近縁の動物から類推するのだろうが、絶滅した種は、現存しないのだからお手上げに違いない。
遺伝子を調べることは出来ても、何色が発現するかは環境によって左右されるだろう。
一世を風靡したゴジラ映画も色を決めるのには相当悩んだだろうことは想像に難くない。
たぶんゴジラのような生物が過去に生きていたなら、あの色ではなかったように思う。
ピンクにブルーの縞模様や斑点があったかも知れず、黄色に緑のツートンカラーだったかもしれない。
これは正解は無いのだから楽しく想像できる。
それでも映画制作者にとっては、あの色を選択したことが大正解で、不動の地位が築けたのではないかと思う。
ピンクパンサーならいざ知らず、ピンクゴジラでは全く同じストーリーでもどうなっていたことか。
絶滅したはずの生物が現代まで生き残るには、派手な色彩や大きな体では不可能だ他のではないかと現代人は無意識に感じているのだろう。
細々と生き延びていた小さな生物が、原爆実験によって巨大化したのであれば、ピンクや黄色であるはずはなく、やはりあの色でなければ観客の共感は得られなかっただろう。
さすがはプロの映像人。色彩選びには歴史から心理学までカバーしている。

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2006年02月18日

親父ギャグの世界

今日は六曜では先負。昨日は友引でした。
この六曜は現在の日本で結構幅を利かせているように思います。
もとは中国の民間のおまじないのようなものでしたが、日本に伝わり、江戸末期にはぼ現在のようになったようです。明治には政府から根拠なしとして廃止させられましたが、そこは日本。民間の暦に刷り込まれて、現在の状況のようです。
友引は、本来「共引」で吉凶で言えば中立、引き分けの意味だったそうです。日本では万葉の時代から、発音の同じ漢字を自由に使いまわしていたようですから、共が友に代わっても問題は無いはずです。が、他人が見れば、友を引くという意味に解釈するのに時間はかからなかったと思います。人に説明しやすいし、中立というより意味がはっきりしますから広まりやすかったのでしょう。現在では、友引に葬式を出すのは、かなり覚悟がいるかもしれません。死人には関係ないことですけれど。

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2006年02月15日

屋島登山のケーブル鉄道は昨年廃止されてしまいましたが、50年近く前はまだ随分と利用されていました。
そのころ、ケーブルカーの山頂駅西側の壁に凹凸のある鏡が設置されていました。
子供心にも自分の姿がゆがんで見えるのが面白く、歩いて登ったときでも鏡の前には立ち寄っていました。
これが鏡の不思議さを意識した最初だったかもしれません。
以来、折につけて、鏡について書かれた本を読んでみますが、今でも単純な疑問が残ったままです。
鏡像の不思議は考え出すと堂々巡りになってしまいそうです。
普通の鏡像は、左右逆転になりますが、上下は逆転しないのですが、前述のゆがんだ鏡では、上下も逆転することがあったように思います。凸面鏡か凹面鏡だったと思いますが忘れました。あるいは、上下逆になったのは、想像だったのかも知れません。
平面鏡では、なぜ左右だけが逆転するのでしょうか。

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2006年02月11日

散歩

普段は、室内で座業が多いので、休日は出来る限り外に出ることにしている。
特に目的も無いので、散歩ということになってしまいます。
犬も歩けば棒にあたるとも言いますが、下手に歩いて足首を捻挫したこともあります。
それでも外に出ることは気持ちがいいことです。
一定のテンポでトントンと歩いていますと、無意識にいろいろなことが頭に浮かんできて、時には、面白い発想が浮かんだり、それまでどうしようかと思案していたことの簡単な処理に気がつくこともあります。
また、見慣れた景色でも、一瞬全く新しい幹事で見えることもあります。
歩くことは、二拍子ですので、きっと脳との相性がいいのでしょう。
脳が情報を処理するのは、二分法でデジタル処理しているのだろうと実感しています。

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2006年01月29日

旧暦元旦

今日は旧暦の元旦です。
新正月も元旦は非常によい天気でしたが、旧暦もまた暖かな好い天気になりました。
日曜日でもありますので、犬を連れて散歩に出ました。
公園の桜の木もつぼみがつくかと思うほどの暖かさですが、さすがに蕾は気が早すぎます。
それでも、桜の季節を思いましたので、桜からの連想を少し書いて見ます。
「花は桜木、人は武士」というフレーズがあります。
後に、ぱっと咲いてぱっと散ると続き、潔さの象徴のように使われています。
これは、本来の意味ではないと思います。

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2006年01月22日

裏切り

「裏切りの・・・」歌謡曲でよく聴いたフレーズです。
個人的な話は歌にもなり、感情も移入できます。
組織に裏切られたら、感情の処理に困ります。
最近、多いのでいい加減嫌になります。
アメリカ牛の約束を守れないいい加減さ。
食べるほうは、言うまでもないですが、無理を承知で受け入れた、政治家、担当役人の腹立たしさは察するに余りあります。
腹が立つのか、頭にくるのか。
アメリカの組織はあんなものですかね。
日本の話です。
東京の証券取引所が、一企業の強制捜査で取引停止に逃げ込んでしまいました。
想定できない事態だったのでしょう。
法を欺いたマンションが販売され、一部は強制撤去になるようです。
法的に許可されなければ、住居などは建設できないはずですが、変わったのですか。
自己責任で建てても良くなったとは、まだそこまで規制緩和にはなっていないでしょう。
裏金、政治資金の「事務処理ミス」、個人情報の覗き見、等等等・・・・・。
思い出せないくらい多いとおもいます。
これらは異常事態では無く、システムとして予防措置を講じていたはずです。
当事者も分かっていることです。
現代になっても、個別に、神風が吹くと信じていたのでしょう。

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2006年01月14日

日本酒

寒い日が続くと、燗酒と反射的に連想してしまいます。
酒好きの人には、燗酒などは飲めないと言われています。
冷酒か常温で飲むのが旨いのだそうです。
私は本来はあまり飲めないほうですが、「人もするなり晩酌」を試してみようと思って飲みはじめました。
飲めないほうですので、そう旨いとも思いませんでしたが、手当たり次第に飲んで見ますと、たまにすっきりと飲める酒に出くわすことがありました。
銘柄を見ていますと、端っこのほうに原料とかアルコール度数とかを書いてありました。
どれでも同じようなものだろうと思っていましたが、材料でも色々違っていることに気がつきました。

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2006年01月11日

鏡開き

今日は、鏡開きで、型のごとく昼はぜんざい。
本来は、二十日の行事だそうですが、徳川幕府が仕事始めを十一日にしてから、繰り上がったのだそうです。
古来、鏡餅は、歳神の御神体だそうです。
農耕民族ですから、餅に神様が搗きこまれているという感覚は解りますし、それを食べ、神を体内に取り込んでその歳の健康、安全を願うのもよく理解できます。
神が宿っているのですから、斬ったり、割ったりせずに開くというのもよくわかります。
最も、硬くなった鏡餅を開く時に木槌で壊すのでは同じようなものだと思いますが。
刃物を使うよりはましということで、気(木)は心ということでしょうか。
丸餅は、望月に通じ、家庭円満の象徴というのもわかります。
それでは鏡餅の鏡は何でしょうか。以下は私の勝手な想像です。

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2006年01月09日

讃岐うどん

松も取れたので、昨日の日曜から普段どうりの行動になった。
日曜は、月に一度は讃岐うどんを食べに出る。
かけ大と五目てんぷらで、二百八十円。
今年もうどんの歯ごたえと滑らかさ、出汁の味とのバランスが最高でした。


2006年01月06日

七草粥とインフルエンザ

セリ、ナズナ(ペンペン草)、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(かぶ)、スズシロ(大根)を春の七草と言うそうです。
子供の頃から良く聞いてはいますが、暗誦するまでには覚えていません。
一月七日にこれをお粥にして食べるとその年は健康に送れるという言われがあることは知っていました。
最近は、年末年始の暴飲暴食から胃を休めるためだとの新しい説もあるようですが、これは、バブルに踊った人たちだけに当てはまることかもしれません。
本来は、春に、新鮮な食物を摂って生命の再生を期待するおまじないだった様で、その後、万葉時代は、若菜を摘み、その若菜がしだいに七草に纏められたのだそうです。
江戸時代には、七草を調理する時に唱える言葉があったのだそうです。
「七草なずな 唐土(とんど)の鳥が 日本の国へ 渡らぬ先に 七草なずな ストトコトントン」(志ん朝のあまから暦 河出文庫より)

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2006年01月03日

書初め

元旦を過ぎるとまた寒くなってきました。
仕事もしないし外出もしないので、時間がゆっくりになります。
筆でも取って書初めでも、と思い立ったのは昨年の正月でした。
なんとも言えない字ですが、自分だけが見るものなので机の脇に置いてあります。
今年も一枚。「不易流行」を選びました。
上手な字には憬れますが、年に一度ではいかんともし難いとおもいます。
三日坊主とはよく言ったものだと思います。

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2006年01月01日

あんもち雑煮

平成十八年、2006年が始まりました。
おめでとうございます。
天気予報はもうひとつでしたが、現実は非常に穏やかな元旦でした。
雑煮を食べて、一日何もせずに過ごして大満足です。
年をとると六十年間食べた、あんもちの雑煮が最高の味ですね。
刺激は一切ありません。
全国的にはマイナーで、敬遠する人も多いようですが美味いですよね。
馬には乗ってみよ、雑煮は喰ってみよ、と思います。

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2005年12月31日

おおつごもり

酉.gif
ばたばたとした一年が終わりました。
次回まで十二年の休憩に入ります。

2005年12月28日

気になる言葉

ぼやき漫才の人生辛朗氏が生きていたら、今年は、ぼやきを通り越して怒り心頭に発して倒れかねない一年だったように思う。あれもこれも気になるが、まずは気になった言葉から。
「流用」。正規ではないお金の流れが発見され、内部調査をした結果の発表で、私的流用はなかったとのこと。普通に考えれば、私的流用出なければ、公的(組織的)流用だろうと思うが、それ以上の報道はない。こんなレポートを出したら、担当者は二度と仕事は回ってこないだろうし、学生なら落第。よくても再試験だろう。内部調査担当者や、報道記事を書いた人には、何もなく、次の仕事が回っているのでしょうかね。「法的責任」はありません。これも同じですね。責任は法的だけなのでしょうかね。事務処理のミスで訂正報告をしょっちゅう出していますが、これも担当能力がないのでしょうね。担当能力があったら困るのでしょうけれども。

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2005年12月25日

光る朝

師走になってから続いていた寒さが今朝は緩んだ。
風もなく、一点の雲もなく晴れ渡っている。
上空は果てしないが、周辺はまぶしく光輝いている。
冬は木々も葉を落とし、低くなった光が良く届く。
静かに落ち着いて、体も気持ちも休めよう。

また寒くなったらそんなことも行って折れないだろうか。

2005年12月22日

二時間半スペシャル

年末になってきました。
テレビ番組でも特別番組が増えてきましたが、昨日、「二時間半スペシャル」というタイトルを見かけました。
瞬間には150分番組、二時間と半時間の番組と思いましたが、あるいは、180分番組、すなわち二時間とその半分で三時間番組かもしれないと思い直しました。
マスコミ関係者がタイトルにありきたりなことでは済まさないだろうと思ったからです。
結果は単純に150分番組でした。
日本語は省略や約束事が多いので、このようなことでも問題はないように思いますが、気にしだすと気になるものですね。
一時間半は、単数の半分ですので、一時間と半時間でも、一時間とその半分でも結果は同じなんです。
二時間、三時間と複数になると、それに半を加えるのは日本語の使い方には無いのではと思い出すと、不安になりますね。

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2005年12月21日

今年を象徴する漢字に「愛」が選ばれたそうです。
漢字の愛好者が投票して決まったようですが、愛には意味が二つあり、どちらを選んだのでしょうか。
きっと、一般的な意味ではなく、昔から使われていた意味のほうでしょう。
昔の意味は、物でも、人にでも、執着することに使われ、否定的に使用されていたようです。
今年は、変な事件が多くありました。
金にこだわり、責任は負わず、自己がよければ他はしらない、という発想のみなのではないかと疑うばかりです。
執着が強すぎる一年だったので、「愛」が選ばれたのだろうと思います。

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2005年11月14日

讃岐弁 「がいな」

讃岐弁は、古語の発音、表現が残っており、それが訛ってきているように思います。しばらくは言葉の遊びをしてみます。
四国に独立野球リーグができて、香川のチームの愛称が「香川オリーブガイナーズ」といいます。
オリーブは、小豆島名産ですが、ガイナーズは香川県人の気質(一部の人?)を指す「ガイナ」から採られています。土佐の「イゴッソー」、佐賀の「モッコス」ほどには全国的知名度はありません。いや、ほとんど県内でしか通用しないでしょう。
では、「ガイナ」とはどういうことでしょうか。しばらく遊んでみましょう。

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2005年11月08日

生活習慣病の河豚

寒くなってきました。
フグの季節の到来ですが、古来より、フグは食いたし、命は惜ししといわれています。
また、落語には、大店の主人が、フグを食べようとして、こじきに先に食べさせてみてからと思っていたら、裏をかかれて自分が先に食べてしまったというような噺もあります。
このフグ毒(テトラドトキシン)は食物連鎖で餌からフグの体に蓄積されるのだそうです。
これを人が食べると、命を落とすことになるのですが、フグにとっては人間に食われないメリットになっています。
ところが最近、養殖でフグを無毒にするのに成功して、市場にどんどん出荷されているそうです。
養殖の餌を改良した為だそうですが、フグにとっては生活習慣の変化で命を落とすことになってしまいました。
人間にとっても生活習慣病で命を落とさないように、食餌などはよく考えるべきでしょう。

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